大好きだった選手なので、書かせて下さい。
宮本恒靖、引退

Jリーグ1部(J1)、神戸のDFで元日本代表の宮本恒靖(34)が19日に神戸市内で記者会見し、今季限りでの現役引退を表明した。出場機会が減ったことを理由に「自分の経験をサッカー界に伝えようと思い、引退を決めた」と述べた。
宮本は1995年から2006年までJ1のG大阪でプレーし、07年1月にオーストリア1部リーグのザルツブルクに移籍。その後、09年1月に神戸と契約してJリーグに復帰したが、昨季は6試合、今季は4試合の出場にとどまっていた。J1リーグ戦通算で337試合に出場し、8得点。
日本代表ではセンターバックとして活躍し、ワールドカップ(W杯)の02年日韓大会、06年ドイツ大会に連続出場してともに主将。国際Aマッチでは通算71試合で3得点を記録した。
(時事通信)
一問一答
17年間の現役生活を終えた宮本恒靖はやや緊張した表情で報道陣の質問に答えた。
−−引退を決断した理由は
「35歳までプレーするというのは、2002年に日韓ワールドカップ(W杯)後に抱いたイメージだった。昨年途中から試合に出るの減っていって、ピッチの中で自分がこなせる役割はそう多くないのかなと思った。ピッチ外でサッカー界に貢献していけることの方が多いのではと思った」
−−決めた時期は
「神戸の方から(契約延長の)ありがたい話をいただいた。もう少しプレーするのもひとつかなと思う時期もあったし、揺れていた。(リーグ最終戦の)仙台戦でプレーする機会があったのが大きかった。その試合に出たことで、自分の中で迷っていたのを背中を一押しされた」
−−今後はFIFAマスターを目指すということだが
「まずはFIFAマスターの資格を取って、それから以降に欧州で指導者のライセンスを取得したい。それからいろんな選択肢を持ってやっていきたい」
−−仙台戦での思いは
「17年間最後だなと思ってピッチに立ったときは、サッカー場はきれいな空間だなと感じてプレーした。終わったときは、区切りがついたなという感覚だった」
−−17年間を振り返り
「10歳の時に新聞でW杯が日本で開催されるのを父親と見てから、まさかその場でプレーできるとは思っていなかった。そういうところ(W杯)でプレーできたのが一番印象に残っている」
−−家族には
「11月終わりごろに相談した。『いいんじゃないか』という感じだった。両親も妻もそう。子供たちは少し寂しそうな顔をしていた」
初めてスタジアムで見たJリーグが、2003年のFC東京vsガンバ大阪だったんだけど、
ツネ様目当てで見に行ったのに、出場停止で出れないって言うね・・・。
フィジカル的に見たら、ディフェンスの選手としては、劣るところが多いんだけど
それを補うクレバーさだったり、経験だったりがすごかったと思うなぁ。
競技は違うけど、自分がフットサルでプレーするのに、参考にする選手の一人。
2002年日韓ワールドカップや、2004年のアジアカップのヨルダン戦のPK戦など
印象に残っている試合が多いなぁ。
17年間本当にお疲れ様でした。
ツネなら、海外でも監督とかやれそうだよね!(頭がいいし、語学もバッチリだから)
チャンピオンズリーグで指揮をとる宮本恒靖が見れたら嬉しいなぁ。
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